こんにちは。
今回は、多言語学習で得られるもの、と題して、言語や文化に対する考え方や意識について記事を書いていきたいと思います。
多言語学習で得られるもの
筆者は、いわゆる多言語学習者になると思います。
これまで両手で数えられる以上の言語に手を出して来ました。
もちろん、それだけの言語に手を出してしまうと、一つ一つの言語の能力はそれほど伸びません。
中には、挨拶や文字が書ける程度のレベルの言語もあります。
では、やはり外国語は一つに絞って勉強する方が効率がいいのではないか、と思われるでしょう。
外国語能力を考えると、やはり一つ一つに集中して学習した方が効率も良いし、レベルも引き上げられるのは間違いありません。
では、なぜ筆者が多言語学習をするのかというと、一つの言語を学習するだけでは得られないものがあるからです。
それは、「言語や文化を対等に見られる感覚」です。
世の中に蔓延る言語や文化に対する扱い
普段の生活の中で、無意識のうちに、言語や文化に差をつけて扱うことが当たり前のようになっていないでしょうか。
例えば、
- メジャーな言語に対して、マイナー言語という区分けがある
- 同じ言語でも、政治状況によって方言とされたり公用語とされたりする
- いわゆるマイナー言語の学習者を奇妙に思う
- 特定の方言に対して、面白おかしく話題にしたり、蔑んだりする
- 方言や別の言語話者が公用語を学習するのが当たり前で、逆は珍しい
- 特定の地域の食文化が奇妙だとする
- 特定の地域の服飾に対して、文化が遅れていると考える
こういった考え方は、割と一般的に考えられているのではないかと思います。
しかし、こういった考え方は本質的に正しいのでしょうか。
言語そのものに対して、優劣をつけることはできないはずです。
そこに公用語や方言などの地位が与えられるのは、政治や経済などの要因が関わっているからであって、言語そのものに優劣があるわけではありません。
文化についても同じことが言えると考えます。
文化そのものに優劣をつけることはできません。
優劣をつけるのは、政治や経済などの要因があるからであって、それは文明と言います。
文化そのものに優劣があるわけではありません。
言語学では、あらゆる言語に優劣がないことが前提とされていて、全ての言語が対等に扱われるからです。
文化人類学では、文化相対主義といって、全ての文化は優劣で比べるものではなく、対等に扱われるべきだと考えるからです。
こういった考え方は、多言語学習をすると、肌で感じられるようになります。
筆者は、なるべく「マイナー言語」と呼ばれる言語にも手を出すようにしています。
日本で一般的に認知されていない言語や文化に触れることは、自分の考えを広げ、深めるのに効果的だと考えているからです。
言語を学ぶことは、単に外国語能力の強化をするだけではありません。
言語を学ぶことによって、得られるものはたくさんあります。
それをどのように獲得し、使用するかは人それぞれだと考えています。