こんにちは。
今回は、前回に引き続き、『ロシア語の余白の余白』についての記事です。
『ロシア語の余白の余白』で印象に残ったこと
前回ご紹介した『ロシア語の余白の余白』、まだ読み始めたばかりですが、印象に残ったことがあったので、記事にしたいと思いました。
それは、『ロシア語の余白の余白』の「おわりに」にあった言葉です。
抜粋して書きます。
「昔から効率よく勉強するのが苦手だった。(中略)
それよりも話題の豊富な先生から、いろんなエピソードを聴きながら学ぶのが好きだった。先生というものは話が楽しければ、少々脱線してもいい。(中略)とにかく魅力的な話題が提供できなければダメなのである。そう考えてきたものだから、自分が教師になってからも、やっぱりそういうスタイルでやってきた。
だが、これはすでに時代遅れである。
(中略)
だから、学習内容と直接には関係ない話題に触れたり、脱線したりしてはいけないのでである。
(中略)
余計な話は歓迎されない、それどころか、ほとんど禁止されている」
今現在日本語教師養成講座を受講している筆者の身としては、この言葉は思いがけず重く響きました。
それは、筆者自身もこうした学習内容とは直接関係のない、しかし語学には関係している話を聞いて興味を持って勉強することが多かったからです。
外国語は、学習資源さえ整っていれば、独学でもある程度進めることができるものだと個人的には考えています。
しかし、あえて教師について勉強するのは、
学習資源を揃えることが難しい環境だからか、
自分では学習の時間を確保できないからか、
あるいはモチベーションを保ち続けることが難しいからだと思います。
だとすれば、教師がすべきことは、
効率的にインプットとアウトプットの機会を確保する
学習計画や目標、モチベーションを設定してあげる
の他にも、
学習者により興味を持って学習してもらう
ことが大事だと考えています。
以前にも、動機づけについて記事を書いたことがありますが、
内発的な動機づけは、安定した学習のために必要不可欠なものです。
これをいかに学習者に持ってもらうことができるかが、教師としての力の見せ所だと思います。
「学習内容と直接関係のない話」が歓迎されないこの時代で、どのようにモチベーションを提供できるか、今から悩まされる問題です。