こんにちは。
今回は、中国の過橋米線を紹介します。
さて、過橋米線はご存知でしょうか。
日本(名古屋近辺)でも食べたいのですが、なかなか扱っているお店はなさそうです…。
過橋米線の故事
さて、この過橋米線ですが、名前の由来となった故事があります。
今回は故事を翻訳してみましたので、ご紹介します。
過橋米線伝説(日本語版)
明朝末〜清朝初め、雲南省蒙自県に一人の書生がいました。科挙試験に合格するために、蒙自の南湖に浮かぶ小島で茅葺の小さな小屋を建てて、勉強に勤しんでいました。
彼の妻は、勤勉で賢く、毎日小島まで往復して食事を届けていました。しかし、書生はあまり食が進まず、妻は心を痛めていました。食事を届ける道のりが少し遠く、小島に着く頃には、食事が冷めてしまっていたのです。
ある日、妻は家で飼っていた鶏を殺し、土鍋で煮込み、米線・肉・野菜を合わせて小島に送り届けることにしました。小島までの橋を渡ったところで、疲れて眠くなってしまったので、石橋のところで少し休むことにしました。しばらくして目が覚めて、土鍋を触ってみると、まだ温かいではありませんか。妻は喜び、急いで橋を渡って小屋に入り、鶏ダシの米線を渡しました。書生は食べ終えると、絶賛しました。妻はそれから、一日おきに土鍋で鶏を煮込み、小島に着くと肉、野菜、米線を土鍋に入れて食べさせました。書生はあまりの美味しさによく食べるようになり、身体は日に日に健康になっていきました。
また、さらに熱心に勉強するようになり、科挙の最終試験に合格することができました。
書生は一位の成績で合格し、同僚はお祝いにやってきました。書生は妻にあの鶏ガラの米線で客を招待したところ、皆食べ終わるや否や、次々に絶賛し、これは何の料理かと尋ねました。妻は橋を渡る時に眠ってしまった時のことを考え、咄嗟に「過橋米線よ」と答えました。それを聞いて夫は、「今日の成果は過橋の縁だ」と褒め称えました。
それから、「過橋米線」は、雲南で最も地域の特色のある料理となりました。
以上が故事の内容となります。とても美しい話ですね。
今後も機会があれば、このような故事の紹介をしていきたいと思います。
それでは、また。