こんにちは。
今回は、外国語学習についてのお話です。
筆者は今、香港で日本語教育に従事しています。
仕事中、多くの日本語学習者を目にするわけですが、だんだん学習者の傾向が見えてきました。
普段、自分も一外国語学習者としての意識を持つように努めていますが、他の学習者の状況などは見えていなかったので、私にとっては大きな発見です。
学習者を見ていて感じることは、やはり学習者のインプットの量によって日本語のレベルに差がある、ということです。
日常生活の中で、日本語にどれだけ触れているか、というのは、やはり学習者によってバラツキがあります。
よくあるのは、アニメが好きで、日常的に日本語を見聞きしているという学習者。
彼らは、日頃から日本語を安定してインプットしています。
その毎日蓄積されたインプットの量で、日本語という言語がどのような言語であるかを理解しています。
母音・子音の発音、アクセント、イントネーション、モーラなどの発音だけでなく、単語や言い回しもインプットを通して把握しています。
さらに、一部の学習者は日常のインプットに加え、セリフのモノマネをすることでアウトプットにもつなげています。
モノマネは、外国語学習には非常に効果的で、モノマネをすることで、発音、イントネーション、言い回し、センテンスを丸ごと吸収することができます。
反対に、日常的にインプットしていない学習者はというと、触れることができる日本語は教室だけになってしまい、また復習もしない学習者であれば、教室で触れた日本語も忘却の彼方に消えてしまうでしょう。
教えている側としては、アニメでなくてもよいので、教室の外でもインプットをしてほしいと願うばかりですが、生活習慣は人それぞれなので、ゴリ押しするわけにもいきません。
また、自分の外国語学習に当てはめて考えてみれば、それはとても難しいことだと気付かされます。
中国語や広東語にしても、「中国や台湾のドラマ」というジャンルが特別好きなわけでもありません。好きな映画が数本あるくらいで、日常的にそれらを見ているわけでもありません。
C-POPもとりわけ好きなわけでもなく、好きな歌手が何人かいるくらいです。
それでも中国語がある程度のレベルまで到達できたのは、ひとえに会話する機会が多かったからです。
中国に住んでいた期間や、日本にいるときも、中国や台湾の友人が周りにいて、中国語を聞く機会や話す機会が多かったことが理由だと考えています。
一方、今勉強しているタミル語は、さらにインプットの機会が限られています。
インド映画がとくに好きなわけでもないし、インド音楽が大好きというわけでもありません。
教える側の立場としては学習者のインプット量に文句をつけたくなってしまいますが、それは教育者のエゴみたいなもので、いざ自分が同じ立場に立ったらそれを続けることがどれだけ難しいかが実感できました。
特に、タミル語のインプットについては、今悩んでいるところで、まだ初級段階のため、文法を学習しながらのインプットになります。
これまで文法中心の学習を続けてきましたが、タミル語に関しては、新しい勉強方法を模索して、いわゆる会話中心の学習方法をしていくことが効果的かな、と考えています。