こんにちは。
今回は、広東語の学習についての内容です。
広東語の学習については、以前にも記事にしていますので、よければ読んでやってください。
自分の語彙にないものは理解できない
最近広東語の学習を再開した筆者ですが、改めて学習してみると、つくづく感じるのが、語彙力の大切さです。
筆者は、10年前から広東語を学習していますが、それほど力を入れて学習していたわけではありません。そのため、語彙力も文法知識も初級レベルから脱せられていません。
基本的な発音や声調は、ある程度把握をしていて、会話をするときも普通話の漢字を広東語読みして話したり聞き取ったりしていました。
この場合、テキストがあれば、話せるし、聞き取ることができます。
なぜなら、テキストの漢字を広東語読みすればいいだけだからです。もちろん、チャットであれば、相手と会話をすることもできます。
しかし、いざテキストがなくなると、途端に言葉が出てこないし、聞き取ることもできません。
なぜかというと、広東語の語彙が自分の頭の中に入っていないからです。
漢字を広東語読みする行為は、表音文字を文字通りに発音する行為と同じです。
いかに発音を完璧にしようと、語彙が頭の中になければ理解することはできません。
広東語の学習を再開してみて、このことを改めて突きつけられました。
いかに「方言」とはいえども、体系的に学んでみると、やはり一つの「言語」であって、普通話の知識が活用できたとしてもそれは補助的なものに過ぎません。
そして、これは広東語だけでなく、すべての言語学習に通じるものだと思います。
特に普通話などの漢語は、漢字で表記するために、日本人はその語彙を知らなくても理解することができます。
しかし、それはあくまでも日本語にも使われている文字を通じて、自分なりにその語彙を解釈しているだけに過ぎません。その語彙を口頭で言われただけでは、理解することはほぼ無理でしょう。そして、そういった語彙は、自分の口から正しく発せられることは永遠にありません。
言語学習は、やはり愚直に学習を進めていくことが大事なのだと実感しました。